「ゴザンス」の花見

先週の水曜日、杉並の建設会社に「定例の懇談」に行ってきた。

しかし、いきなり「先生よお、これから、花見に行くからよぉ、来てくれるだろ」と、顔デカ社長に言われた。

サプライズ!

いえ、私は昨日電話でお話しした通り、緊急の用ができまして、午前中でおいとまをしなければいけませんから、花見は無理かと。
・・・と抵抗したが、「いいじゃねえか、一時間くらい。もう社員全員その気だからよ。先生の開会の挨拶がないと、花見はできねえんだよ」とデカい顔を近づけられた。

いえ、「花見なんかして浮かれる男にはなるな」と、死んだ祖母の遺言を私はいままで守って来たわけで・・・(嘘だが)。

「先生のご祖母は、何をしていた人だい?」
若い頃は島根県で師範学校の教師をしておりました。
東京に出てきてからは、東京教育大の講師などもしておりました。

「そんな偉い人が言うんだから、確かに一理あるな」と、最近蓄えてきたあご髭を撫でながら、顔デカ社長が大きく頷いた。
そして、「よし、わかった! 今年の花見は中止だ。浮かれていている場合じゃねえからな。さあ、仕事だ!」と叫んだ。

そのときの社内の空気の沈み方は、地上98階から一気に地下5階まで落ち込んだエレベータのようだった。

嘘です、嘘でございます。
花見、行きましょう。
きっと祖母も喜ぶはずでゴザンス。

「ゴザンス?」と顔デカ社長。
この「ゴザンス」は、いま我が家でとても流行っている言葉でございます。
帰ったでゴザンス、食べるでゴザンス、お風呂に入るでゴザンス、おやすみでゴザンス、などという使い方をしております。

「おう、じゃあ、花見に行くでゴザンス」

お!?

 
場所は、三鷹市の野川公園だった。
軽トラックに、花見道具一式(バーベーキューセット、食材、ビールサーバー、レジャーシート、バッテリー、社長持参のカラオケセット)を積んで、ついでに私が乗ってきた自転車も載せてもらって、総勢39名の花見に向け、ワゴン車6台に分乗して、杉並を出発した。

満開からは少し過ぎていたが、先週の水曜日の時点では、桜は春をきらびやかに主張していた。
デカいレジャーシート3つ。
バーベキューセット3つ。
食材の入った段ボール箱が5つ。

役割分担は、最初から決まっていたようだ。
まるでシナリオに書かれたように、各自が持ち場に着いて、軽快な動きで準備をし始めた。
あっという間にバーベキューセットが組み上がり、食材を焼きはじめた。

・・・で、私は何をすればいいのだ?

「先生には、景気付けに歌を歌ってもらおうか」

え? 聞いてないよー。

私の尊敬する祖母の遺言に、カラオケを歌うような浮かれた男にはなるな、というのがございます。

「そんな昔に、カラオケなんかあったか?」

あったのでございます。
実は、カラオケを開発したのは、私の祖母なのです。

「先生、あんた、嘘もいい加減にしろよ」
デカい顔を近づけられた。

嘘でゴザンス。

「じゃあ、とにかく一曲お願いでゴザンス」

お!?

 
早く帰りたかったので、適当に「やっつけ仕事」で歌って、消えようと思った。
歌うなら短い曲だ。
そうなると、初期の頃のビートルズだろう、と思った。

たしか「ア・ハード・デイズ・ナイト」は、2分半程度ではなかっただろうか。
やけくそで歌った。
私は、歌は上手いか下手かと言われれば、明らかに「下手くそ」の部類に属する。

ただ、平均年齢30前半の会社の方たちには、ビートルズは馴染みがないだろうと思ったから、勢いだけでねじ伏せた。
中には、バーベキュー用の串を空に突き上げて、興奮してくれる人もいた。
歌うというよりも怒鳴ると言った方がいいレベルの雑音だったが、歌い終わった後の左右から沸き上がる歓声を経験すると、カラオケにハマる人の気持ちがわかるような気がした。

「ご苦労さんでゴザンス」と、顔デカ社長がジョッキを持ってきてくれた。

お!?

 
私はベジタリアンなので、牛肉はウエルダンでお願いします、というと、なぜか全員から受けた。
(ハードルが低すぎるかな)
ステーキを食い、ホタテを食い、生ジョッキを2杯飲んだところで、11時50分になった。

申し訳ありませんが、帰る時間でございます、と言ったら、「じゃあ、最後に1曲歌ってから帰ってもらおうか」と顔デカ社長に無茶ぶりされた。

聞いてないよー。

しかし、いえいえ、ご勘弁を~とか、他の方のほうがお上手ですので~、などという時間が無駄のコントが私は苦手なので、「よゴザンス」と答えた。

また初期の頃のビートルズの曲を思い浮かべた。
短い曲ばかりだ。
「ヘルプ」が思い浮かんだ。

おそらく2分20秒もない歌だ。

歌った。

すると、耳に馴染みのある人が多かったのか、半数以上の人が立ち上がって、大合唱だ。
顔デカ社長も立ち上がって、歌っていた。

まさか、こんなに盛り上がるとは思わなかった。
まるでライブ会場ではないか。

俺、デビューしようかな。

そんな高揚感に包まれたまま、顔デカ社長に「ありがとうでゴザンス」と言って、ハグされた。

お!?

 
軽トラックに自転車を積んだまま、社員の方(もちろん酒の飲めない方)に、国立まで送っていただいた。

軽トラックから自転車を降ろしてくれた若い社員の方に、ありがとうでゴザンス、とお礼を言った。

「こちらこそ、ありがとうでゴザンス。社長が丸くなったのは、Mさんのおかげでゴザンス。これからもよろしくでゴザンス」と、真顔でお辞儀をされた。

 
お!?
 

就職活動中の娘たち

娘が、泣いていた。

娘が大学1年のときから同じクラスだった女の子がいた。
名をシノちゃんと言った。

中学のとき、脊髄を痛めて、車椅子生活になった。
大学に入ったが、一人でやれることには限りがあるので、同じ大学で2学年上のお姉さんが付き添っていた。
だが、毎回付き添うというわけにはいかなかった。

そのとき、もともと福祉に興味があった娘は、シノちゃんのお姉さんが付き添う姿を見て、お姉さんが付き添えないときは、自分がシノちゃんをサポートしようと決めた。

そのときから、娘とシノちゃんは友だちになった。
娘の通う大学の号館には、ほとんどエレベーターがあったし、緩やかなスロープもあった。
ただ、古い3階建ての号館には、エレベーターがなかった。

そして、その号館での授業を選んだシノちゃんは、教室に行くためには誰かの助けを借りるしかなかった。

そのときは、車椅子のシノちゃんを担いで教室まで運ぶしかない。
娘は、シノちゃんが古い号館を使うときには、クラスの男子学生に声をかけて、手伝ってもらうように、毎回段取りをつけた。

シノちゃんには、それがとても心強かったようだ。
お姉さんが卒業してからは、なおさら娘に対する感謝の思いが強くなったという。

だが、大学3年の後期、娘は韓国に留学することになった。
留学するなら、いましかないと思った娘は、シノちゃんに、そのことを打ち明けた。

シノちゃんは、「カホちゃんの夢を応援するよ」と笑って送り出してくれた。
旅立ちの日、シノちゃんは、娘を成田空港で見送った。

笑顔だった。

だが、娘がゲートの向こうに消えたとき、私は、指で目を拭うシノちゃんの姿を見た。
見なかった振りをした。

半年間の留学を終えて、羽田空港に帰ってきた娘を、シノちゃんは出迎えてくれた。
そのとき、シノちゃんは、旅立ちの日とは違って、涙を隠さなかった。

娘の姿を見た途端、「カホちゃーん!」と泣き出し、抱きついた。
それを見た娘も泣いた。

大学で2年半、サポートした娘がいなくなったことで、シノちゃんは、半年間とても心細い思いをしたようだ。
娘も、シノちゃんのことをいつも気にかけていた。

留学中、娘と私は、毎日skypeのビデオ電話で話をしたが、娘は「シノちゃんのことが気がかりだよ」とよく言っていた。
そして、帰国した日、「シノちゃん、ごめんね」が、羽田空港での娘の第一声だった。

いま、娘とシノちゃんは、大学4年になった。
つまり、就職活動が始まった。

一昨日、シノちゃんが、我が家にやってきた。

シノちゃんは、企業の障害者枠で、いくつかの説明会に行き、面接を受けたという。
その中で、内定を取れそうな企業に出会った。

大学の就職課では、もっと大きな企業は6月以降に募集するから、大企業と天秤にかけながら結論を出した方がいい、と言われたらしい。

だが、内定を取れそうなその企業は、シノちゃんにとって、とても魅力的だったようだ。
社長の理念に惹かれたのはもちろん、社員さんたちの溌剌とした姿と優しさに心を打たれた。

「だって、社員さんたちみんなが、カホちゃんみたいに優しいんだよ。
カホちゃんをいつも感じられるんだよ!
そんな会社って、他にはないよ!」
目に涙をためながら言った。

それを聞いて、娘が泣いた。
聞いていた我々も、もらい泣きした。

就職とは、もがき続けて、人生の居場所を見つける作業だと私は思っている。
二人は、今もがき続けている最中だ。

そのもがき続けている時間が濃ければ濃いほど、人は濃い大人になれる。
二人は今、人生に色をつける作業を始めたばかりだ。

それを私は、見守っていこうと思っている。

 
ところで、シノちゃんは、とても行動力のある子だ。
就職活動のために、機動力をよくしようと車の免許を取った。
体力をつけるために、ジムにも通っていた。

前向きな、いい子なのだ。

だが、私には困ったことが一つだけあった。

シノちゃんは、私のヨメを「カホちゃんのお母さん」、息子を「カホちゃんのお兄さん」と呼んでいた。
しかし、私のことは「サトルゥ」なのだ。
つまり、呼び捨て。

「サトルゥ、このラザニアのソースは、美味いよ。店に出せる味だ」などと言う。
私が冗談を言うと「サトルゥ、下らなすぎるんだけど」と、バッサリ切り込む。

私がシノちゃんをお姫様抱っこすると、「サトルゥは、加齢臭が薄いな。ガイコツは薄いのかな。うちのパパはデブだから、加齢臭がきついぞ」などと言う。
「サトルゥは、もっと太れ。加齢臭が出るくらい太れ」などとも言う。

遠慮がないのだ。

 
シノちゃんに「サトルゥ」と呼ばれるからだろうか。

今年の3月から「家猫」になったセキトリという名の猫が私を見て鳴く声が、最近の私には「ニャトルゥ」と聞こえるようになった。

俺、大丈夫か?

 
最後に、シノちゃんと我が娘に言葉を贈りたい。

就職活動、お疲れさん。

親父は君たちに、頑張れ、とは絶対に言わない。

だって、君たちはいつだって、充分に頑張っているのだから。

 

飲み会脱退宣言

飲み会は、もう飽きた。

同業者との飲み会は、1月に新年会を開いてから、なかった。
開催は、基本的に2か月に1度だから、本来なら3月のはずだったが、どうせ興味のないプロ野球と高校野球の話題だろうから、と思った私は参加しません、と答えた。

私以外の5人でやればいいはずなのに、「では、4月に伸ばしましょうか」と言われた私は、気弱にも断りきれなかった。
毎回やんわりと断って、ソフト・ランディングしながら飲み会の自然消滅を狙っていた私としては、完全に当てが外れた。

しかも、もう高校野球は終わっているはずなのに、なぜ高校野球の話題で盛り上がれるのだ。
さらに、プロ野球も開幕してしまったので、アホなジャイアンツファンは、そっちでも盛り上がりまくっているから、鬱陶しいことこの上ない。

仕方ないので、耳のスイッチをオフにして、大好物の牡蠣フライを食い、メンチカツを食い、ちょっとだけ好物のジャガイモピザを食った。
酒は、生ビールだ。

生ビールの一杯目は、一昨年の暮れに店を辞めた店長代理の片エクボさんの奢りだ。
子育てが忙しいから、もう店には出てこないが、私が来たら、必ず生ビールを出すようにと次期店長に命令したらしい。

元レディースの命令を聞かないと、あとが恐いので、毎回目を引きつらせながら、新店長さんが直々に私に生ビールを運んできてくれた。
ありがたく頂戴している。

この店で流れる音楽は、我々が最初店にきた頃から変わっていない。
Mr.チルドレンばかりなのだ。

これは、片エクボさんの趣味なのだが、片エクボさんが辞めたあとも流しているということは、これも命令されているからだろう。
元レディース、恐るべし!

牡蠣フライをお代わり。
それを見ていた、同業者の中で最長老のオオサワさんが、「ここの牡蠣は、広島県産らしいですけど、僕は北海道産が一番おいしいと思うんですよね」と、ぐい飲みを小指を立てて持ちながら言った。

また、始まりましたか。
食い物の蘊蓄(ウンチク)が。

私は、メシを食いながら、食い物に関して蘊蓄を聞かされるのが好きではない。
感想は、うまい、まずい、普通、でいいではないか。

牡蠣に関して言えば、どちら産にしても漁師さんたちが、苦労しながら漁獲してくれたものだ。
どちらも美味い、となぜ言えないのか。

以前、同業者のキムラさんが、「霧島鶏が最高だね。霧島鶏を食べたら、他の鶏は食べられないよ」と言ったことがあったが、他の鶏さんに失礼だと思った私は、霧島鶏だけが鶏さんじゃねえ、と言って場を白けさせた。

この日も、俺が気に入って食っているんですから、ここで北海道を持ち出すのは野暮でしょ、と言って、居酒屋全体をホワイトアウト並みの白さにした。

ブリザードの中で、ピリ辛手作りつくねを頼んだ。
そんな中、きっとオオサワさんが、最長老だけあって、ホワイトアウト状態ではいけないと思って、気を使ってくれたのであろう。

「そろそろお開きにしようかと思うんですけど、最後に、Mさんに恒例の面白い話をしてもらいましょうか」

恒例の・・・?
高齢の、ではなく?

聞いてないぞよ。
考えてもおらんぞ。

だが、私は、いえいえ、私ごときに面白い話など無理でございますよ、などという謙虚な演技はできないので、前日に経験した出来事を話すことにした。

 
午後3時前、品川駅から京浜急行に乗って、知人が住む「六郷土手駅」に行こうとしたときだ。
忙しくて、朝メシも昼メシも食っていなかったので、品川駅のNewDaysというコンビニで、ザキヤマ製パンのランチパックを買って、剛力彩芽さんの顔を思い浮かべながら車内で食った。

そのとき、私の目の前に座った、ご肥満様のサラリーマンも大きな革のバッグから弁当を取り出して食べはじめた。
年は、30歳前後だろうか。
取り出したのは、崎陽軒のシウマイ弁当だった。

男は、見事なほどのスピードで弁当を平らげた。
おそらく3分もかかっていなかったと思う。

食べ終わったあと、バッグから伊右衛門を出して、美味そうに飲んだ。
そのあと、大きなバッグからまた何かを取り出した。

それも崎陽軒のシウマイ弁当だった。
ああ、でも・・・俺も2つは食えるかな、と思った。
(美味いですから)

しかし、食べるスピードでは適わない。
瞬く間に2つ目も食べ終わった。
そして、伊右衛門。

次に、今度バッグから出したのは、カップに入ったゼリーだった。
マスカットのようだ。
疲れを取るには、糖分も必要ですからね。

要するに、デザート(気取ったやつはドルチェとほざく)。
それも素早く食べ終わった。

そして、魔法のバッグから出てきたのは、またしてもゼリーだった。
マスカット。
食い終わった。

伊右衛門。

もう魔法のバッグから何が出ても私は驚かない。
出てきたのは、柿の種だった。

小さなパックが6つ入った定番のおつまみだ。
3時のおやつでしょうかね。

一袋目を喉に流し込んだ。
私は、柿の種は、おつまみだと思っていたのだが、彼にとっては飲み物だったようだ。

伊右衛門。

そして、当たり前のように、2つ目を手に取った。
また飲むのか・・・と思っていたら、電車は「六郷土手駅」に着いてしまった。

降りなければいけない。
しかし、私は、その後がとても気になったのだ。

ふた袋目を飲み込んだのは間違いないだろうが、残りの4袋を彼が飲んだのかどうか。

そのまま乗って、私は彼が残りを飲み込むのを確認した方がよかったのでは、ないだろうか。

その私の心残りは、いまも続いていて、柿の種の袋が脳裏に焼き付いて消えないのである。

 
私は、そんな風なお茶目な体験談をしたのだが、全員に「Mさん、その話のどこが面白いんですか」と責められた。

 
おうおう・・・わかったぜよ!

俺は、もう絶対に飲み会には出ないからな!