怒りが湧いている

今週はノンビリできるはずだった。

小金井の「おふろの王様」に行く予定だった。
しかし、知人経由で2つの急ぎの仕事がいきなり入った。

インターネットカフェのポイントカードとイタリアンレストランのメニューの仕事だ。

計画性がないんじゃないかな。
なぜ、もっと前から、準備できなかった。

だが、フリーランスの立場としては、そんなことは言えない。

ブツブツと心の中で文句を言いながら、3日で仕事を仕上げた。
ストレスが溜まった。

校了になっても、ちっとも嬉しくはない。
「ちゃんとやれよ、馬鹿野郎!」という気持ちしか湧いてこなかった。

計画性のない人というのは、世間には確実にいる。
要するに、余裕がない人だ。

そういう人は、人に仕事を押しつけて、「俺はできる人だ」と勘違いしていることが多い。
しかし、ギリギリになって、仕事を回してくる人に「できる奴」は、普通はいない。
迷惑この上ない。

実際、イタリアンレストランの初日は、お客が11人しか来なかったという。
やっつけ仕事は、お客さんにすぐバレる。
店の雰囲気を見て、客は賢明に判断する。

無駄な仕事をしたな、とそういうとき強く思う。

さらに、帰りに食った国分寺駅の立ち食いそばがまずかった。
このダシは何なんだ、と思った。
濃いだけじゃないか。
「そばの返し」の概念が抜けていると思った。

素人なのか。

落ち込みながら、我が家に帰った。

何もやる気が起きない。
かろうじて、おでんを作ったが、出汁の味が薄すぎて、家族に不評だった。

この怒りを、どこにぶつければいい?
(私が悪いんですけどね)

目くじらを立てない人たち

日本は面白い国だ。

いま、リベラルな政治家に投票する選択肢が非常に少ない。
正確に数えたわけではないが、いま日本の国会議員の8割近くが保守の政治家ではないだろうか。

民主的な先進国の多くは、右派、中道右派、中道、中道左派、左派などに散らばっている(たまに極右がいる)。
だが、日本は、ザックリとした「保守」が多くの議席を占めている。
いかにも「横並び」が好きな日本らしい現象だ。。

日本は、諸外国に比べて、政権交代が少ない。
民主主義国家は、政権交代の度に政治家と有権者が少しずつ政治に対して成熟してきて、自己主張が強くなる。
それは、ときに、自国第一主義に変化して、愛国心だけが肥大し、無闇に敵国を作るというデメリットもあるが、国民の政治に対する関心は強くなる。

だが、政権交代が少ないと、政治は「安定」という名の停滞期に入り、国民の政治に対する関心が低くなる。
その結果、変化を望まない居心地のいい「保守」を選択するようになる。

おそらく、いまの日本は、その状態にある。

 
日本では、リベラルが希少価値になった。
今回の選挙で、リベラルがさらに議席を減らしたら、もしかしたら、国会議員の9割以上が保守という、とても珍しい国ができるかもしれない。

きっと、世界の政治学者が驚くことだろう。

独裁国家である中華人民共和国は、一党独裁である。
指導者はいない。
独裁者だけがいる。

たとえば、民主主義国家でも、9割の国会議員が保守なら、ほとんど独裁と言っていいのではないか。
それは、どんな理不尽で非人道的な政策でも通せる力を持つことを、有権者が認めたことになるからだ。

つまり、いまの日本は、保守的な政治家の危険な政策に、目くじらを立てない有権者が多いということになる。

どこの国の民も、支配者には抑圧と従順を強いられてきた。
だが、どんな国にもレジスタンス(反抗)はあった。
あの独裁国家の中国でさえ、天安門事件という命をかけたレジスタンスがあった。

戦後、日本にも、2回の安保闘争があった。
このとき、学生たちはレジストしたが、社会がレジストを容認しなかった。

その正否については、きっと高度経済成長期という勢いにかき消されて、社会は丸く収まり、社会は国のやることに「目くじらを立てない」ことで「正」の答えを選択したのだと思う。

日本では、主上(おかみ)のすることに逆らうことは、悪であるという考えが定着している。
それは、もちろん、わかる。
そうしなければ、生きていけないからだ。
(江戸時代以前に、一揆というのがあったが、どれも局地的紛争に過ぎなかった)

その考えが長く受け継がれて、多くの人は、いま平和な日本という国を保守したいという気持ちが強くなったのだと思う。

だが、私は、日本が保守独裁になるのは、好まない。
それを民主主義と言っていいのか、私は疑問を感じている。
民主主義は、民を守るためのもので、烏合の衆を作るためのものではない。

だから、リベレルには頑張ってほしい。

私は、目くじらを立てる人だ(だから、フリーランスをしている。協調性がないから)。

保守のやりたい放題には、目くじらを立てる。
自民党には、「マスコミの広告収入を絶やせ!」などと主張する、脳細胞の小さい議員が少なからずいる。
自由民主主義と経済原則、報道の自由を理解していない感情肥大生物だ。

マスコミのあり方について、「マスゴミ」などという、少しも洒落になっていない批判をする人がいるが、下世話な分野での報道はゴミであっても、政権党に対して、批判的になれるマスコミは絶対に必要だ。
そうでなければ、政権党の暴走に歯止めがかからない。

政権党は、批判されて当然なのだ。
不倫ばかりに熱心なマスコミと、ペンを武器に変えられるマスコミを比較してはならない。

ただ、とはいっても、日本のマスコミも「目くじらを立てない」集団の一つだ。
森友や加計学園の報道は、最初だけは追及が少しだけ鋭かったが、いつの間にか上げた旗をお降ろして、目くじらを立てない人たちに戻っていった。

 
今回の選挙では、保守候補が乱立して、ほとんどの選挙区で保守候補の選択儀式が行われる気配だ。
どちらが勝っても「保守」と「保守」。

いま私は、保守が日本を支配して、憲法を改めるという道筋に恐怖を感じている。
国民は、いまの憲法には守られているが、新しい憲法は、為政者の都合のいいものになるかもしれない。

わずか70年前まで、日本国民は知らず知らずのうちに、「大日本帝国憲法」とはかけ離れた、好戦的な議会や軍部に抑圧されていた。
それなりに近代的な憲法だったが、為政者たちが、武力で解釈を歪め、破滅の道に国を進めた。

そして、「目くじら立てない人たち」は、目くじらを立てないがゆえに、抑圧を甘んじて受けた。

保守が幅をきかす現在、国会議員が数を恃んで、新しい憲法を作ったとしたら、70年前とは違って、武力ではなく憲法の条文で国民を抑圧することもあり得る。
ただ、もちろん、抑圧をしないこともあり得る。

保守系国会議員の誰もが、国民に対して残虐ということはない、という希望を私は、ささやかながら抱いている。

しかし、超タカ派の誰かさんが、指導者ではなく「独裁者」に変身したら、その良心的な保守は簡単に排除されて、残虐な保守にその席は与えられるだろう。

 
そんなことにならないために、リベラルには、頑張ってほしい。

そして、どうせ保守が勝つなら、「良心的な保守」が多く勝ってほしいと、勝手なことをいま私は思っている。

 
さらに、絶えず政権に目くじらを立てる人が、少しでも多く増えてほしいとも思っている。

 

ジーディーピー

新宿で、いかがわしいコンサルタント会社を経営するバッファロー・オオクボから誘われた。

だが、俺は忙しいから、おまえが国立に来い、と私は命令した。
オオクボは「わかった」と素直に国立にやってきた。
しかし、中央線ではなく、タクシーで来たという。

いいなあ、社長様は。

国立には、色々な店がある。
イタリアンから、中華、タイ料理、ロシア料理、フレンチ、多国籍だってありまっせ。

「いや、俺は和食党だ」と偉そうにオオクボが言う。
だが、俺はイタリアンが食いたい、と私は自己主張。

意見が合わなかったので、間を取って、焼き肉にした。
店内が、和の雰囲気のある焼き肉屋さんだった。

単純なオオクボは、内装を見て気に入ったようだ。
オオクボは、牛タンを3人前頼んだ。
私は、塩カルビ1人前と生ビールだ。

私は、数年前に、「世間は肉ブーム」というのを聞いて、肉が嫌いになった。
だから、1人前で充分だ。

「いまな」とオオクボが、牛タンを飲み込みながら言った。
「都内に7店舗持つ本屋のクライアントがいるんだが、本屋にカフェを隣接させたいと言ってるんだよ。発想が陳腐だから、俺はやめた方がいいですよ、と言ったんだが、相手はカフェにこだわっていてな、どうしてもやりたいらしい」

本屋や雑貨店がカフェを隣接させているのを見たことがある。
ちまたは、カフェブームだ。
カフェが、付加価値だと思っている経営者は多いのかもしれない。

しかし、これだけカフェが林立すると、当たり前すぎて付加価値にはならないのではないか。
オオクボも「俺もそう思う」と頷いた。

たとえば、10円で美味いコーヒーが飲めるのなら、それは意味があるかもしれない。
それを目当てに来る人は、いるかもしれない。
ただ、「10円で美味い」というのが前提だ。

不味かったら、意味はない。
10円だから不味い、では需要は続かないだろう。
それなら、やらない方がいい。

世間には、美味いコーヒーを出す店はいくらでもある。
本屋の隣に、たとえば400円で美味いコーヒーを出すカフェを隣接させたとしても、それが付加価値になるかどうか。

本屋じゃなくてもいいだろう、と思うのではないか。

マクドナルドが100円でコーヒーを出したときには、驚いた。
お粗末な味だったが、100円というのはインパクトがあった。

その後、マクドナルドは、コンセントのある店舗を増やした。
パソコンやスマートフォンを使う人には、大変重宝するシステムだ。
そして、Wi-Fiも完備された。

つまり、付加価値だ。

私は、ほとんどマクドナルドの食い物を食ったことはないのだが、なぜか不味い、高い、と文句を言う人がいる。
食ったことがないので、そのことに関しては何も言えない。
ただ、不味い、と文句を言うのなら、食わなければいいだけのことだ。

美味い、と言われているモスバーガーに行けばいい。
だが、モスバーガーには付加価値はない。
美味さを追及することが、モスバーガーのポリシーなら、付加価値はいらない。

しかし、マクドナルドには、店によってはキッズが楽しめるスペースがある。
これも付加価値だ。
家族で楽しめる空間を与える方向性が、マクドナルドにはある。

それは、美味い不味い、ではなく「楽しい」を追及しているからだ。
「不味くて高い」というのは、マクドナルドにとっては、トンチンカンな言いがかりだ。
そういう人たちは、来なくてもいいのだ。

コンセントやWi-Fi、子どもが楽しめる空間を単純に好む人が、来ればいい。
それは、企業として、とてもわかりやすい方向性を示していると思う。

だから、わかりやすい付加価値が欲しいよな、と私はオオクボに言った。

オオクボ社長、生ビールをもう一杯よろしいでしょうか。

「ああ」と偉そうに、オオクボが頷いた。

「まあ、誰もが、付加価値のことは思うよな」とオオクボが1年前から蓄え始めたアゴヒゲをさすりながら、眉間に皺を寄せた(似合ってねえぞ)。

いっそ、ただでコーヒーを出せよ、と私は言った。
クッキーとかも、食い放題にしたらどうだ。
ヤケクソになった私は、食パンとトースターを置いてセルフサービスで焼かせたらどうだ、それもただで振る舞ったら、客は喜ぶんじゃないか、と言った。

怒るかと思ったが、オオクボは「ああ、いいな」と顎をさすった。

嘘だろ?

オオクボが、怪しい社長になりそうだったので、私は腰を上げることにした。

悪いな、仕事が残っているから、俺は帰るぞ。
いま、俺は、GDPで困っているんだ。

「また、ゲリでピーなのか?」

いや、「我慢できずにプー」をしたんだ。

「今か?」

 
 
そうだ(すかしっぺ)。

  
く・・・くさい。