怒濤の十日間

計画性がなかった。

4つ仕事の締め切りが重なるのは、わかってたのに、つい引き受けてしまった。
フリーランスは、仕事がなくなるのが怖い、という習性を持っている。

だから、仕事がいただけるのなら・・・という、いつもの習性が出てしまったのだ。
その結果、怒濤の十日間を過ごすことになった。

いつもそうだが、終わってみれば、あっけない。

ただ、疲れだけが残る。

達成感はない。

ただ、疲れだけが残る。

さて、家族の朝メシを作って、出かけることにしましょうかね。

杉並在住のWEBデザイナーのタカダ君の事務所に行くことにしよう。
そこの隅っこのソファで、思う存分眠るのだ。

ということで、おやすみなさい。

 

聴かず嫌い

久しぶりに苦手な人に出会った。

杉並の建設会社の顔デカ社長に、内覧会のチラシの最終校正を持っていったときのことだった。
顔デカ社長から、現場で軽いトラブルがあったので、約束の時間に遅れると言われた。

待つことにした。

建設会社の事務所には、応接セットが2つあった。
そのうちの一つを先客の男が占領していた。

あとで顔デカ社長に聞いたところによると、材木会社の社長さんだったらしい。
彼も顔デカ社長に呼び出されたということだ。

木曜日は、急ぎの仕事はなかった。
だから、気長に待つことにした。

バッグからノートパソコンを取り出して、男の隣の応接セットでカチャカチャと打ち始めた。
仕事をしているわけではない。

隣の応接セットの男の嫌な点をエディターに箇条書きにしていたのだ。
我ながら性格が悪いと思ったが・・・。

まずは、油テカテカのオールバックが好きになれない。
そして、体型も。
身長は、きっと165センチもないだろう。

背が低いのは、しょうがないと思うが、絶対に運動をしていないだろう、と想像できるブヨブヨの体が嫌だった。
その男が、股を大開脚して、椅子に座っていたのだ。

私は、股を大開脚して座る男が苦手だ。
おそらく小さい自分を少しでも大きく見せようと頑張っているのだろうが、醜いとしか思えない。
必要以上の虚勢は醜い。

男の目は細い。
だから、表情が見えない。
さらに、瞼と頬がたるんでいた。

年の判断が、しづらい顔だ。
40~55歳と推測した。
どっちにしても、俺より年下じゃないか。

口元はへの字に歪んでいた。
私には、人の口に関して偏見があった。
性格は、口に出ると思っているのだ。

普段、文句ばかり言っている人の口は、たいてい尖っている。
口をギュッと固く結んで、口を小さく開けて話す人は、人の言うことを聞かない頑固な人だ。
さらに、口がへの字に曲がっている人は、人を見下している人だ(と思う)。

男の口は、への字に曲がっていた。
ただ、もちろん、目が細くて、瞼と頬がたるんでいて、口がへの字の人に、いい人はたくさんいるに違いない。
私は、この人と話をしたことがないので、第一印象で判断しただけだ。
失礼なことは、百も承知でござる。

男は、私が事務所に入ってきたときから、ずっと両腕を組んでいた。
大開脚と腕組み。
なかなか、素敵なオブジェではないか。

その素敵なオブジェが、今度は鼻歌を歌いだした。
旋律からすると、演歌らしい。
この鼻歌も、男に似合っていた。

ただ、演歌嫌いの私は、その鼻歌を聴いて全身が鳥肌に毒された。
しかも、大開脚した両足で貧乏揺すりをしているし。

男は、ご機嫌そうだった(どこか不安を紛らすようなご機嫌さではあったが)。
ご機嫌なまま、この会社で唯一の女性社員である40代の事務員に向かって、「なあ、やっぱり歌は演歌が一番だよなあ。最近の歌なんか、幼稚すぎて聞く気にもならんよ。ガキの歌なんか聞いて、どこが面白いんだ」と吠えた。

この男が、いかにも言いそうな意見だったので、そのご意見には、ちょっと笑った。

ただ、女性事務員が完璧な沈黙を貫いたので、事務所内の空気は冷めた。

その冷めた空気の中、顔デカ社長が帰ってきた。
「おー、先生、待たせて悪かったな!」

顔デカ社長が、入ってきたときの男の反応が面白かった。
大開脚していた股を高速で閉じたのだ。
どこかにスイッチがあるのか、と思うほど、それは目を見張るほどの早さだった。

「先生よお、この間の懇談会で、歌の話が出たよな」と顔デカ社長が、私の前に座るなり言った。
「やっぱりなあ、聴かず嫌いは良くないよな。
騙されたつもりで、先生が教えてくれた椎名林檎とブルーハーツとX JAPANのCDを買って聞いたんだよ。
最初は、『なんじゃこれ!』って思ったけどな、酒を飲みながら聞くと、段々と心が浮き立ってくるんだな。
気に入ったよ、先生。
演歌もいいが、こいつらの曲には、演歌にはない深い言葉の世界があって、俺は目から鱗が落ちたぜ」

1週間に一度、杉並の建設会社で、顔デカ社長と私の二人で「懇談会」という名の無駄話をするのが、恒例になっていた。
その前々回の懇談会で、歌の話が出たのだ。

顔デカ社長は、見た目の印象通り、演歌と懐メロしか聞かなかった。
だが、私は逆に、演歌と懐メロは、まったく聞かなかった。
要するに、私も聴かず嫌いなのだ。

お互い、聴かず嫌いですね、という話になった。

社長が好きな歌手の名前を聞いたが、私は一人も知らなかった。
そして、私が出した何人かのミュージシャンの名前も社長は知らなかった。

「じゃあ、先生よお、お互い、その知らない歌手の歌を聴いてみるってのはどうだい。聴かず嫌いが治るかもしれねえな」と顔デカ社長が提案した。

ようござんす、と私は答えた。

しかし、社長が推薦した2人の懐メロ歌手の歌を聴いてはみたが、私は「ゴメンナサイ」だった。
歌声も旋律も暗くて、歌詞が後ろ向きで、聴いている間中、鳥肌が立ちっぱなしだった。

次の週に、顔デカ社長に、そのことを素直に告げた。
「そうか、合わねえもんは、仕方ねえもんな」と顔デカ社長は苦笑いで納得してくれた。

私はダメだったが、顔デカ社長は、気に入ってくれたという、この差は何だろう?

「椎名林檎の詞は、聴けば聴くほど、心に入ってくるよな。ブルーハーツの歌は、心に真っすぐ入ってくるし、X JAPANの演奏は、音楽のことがよくわからない俺にも、心と体に響くよ」

それを聞いて、負けたな、と思った。
顔デカ社長の感性は、柔軟だな。

7年前に、顔デカ社長に初めて会ったとき、第一印象は最悪だった。
態度は横柄だし、睨みつけてくるし、話すときは顔を必ず近づけてくるし、機嫌が悪いと、まわりの人を怒鳴り散らすという、私の最も苦手なタイプだった。

それが、今では7年のお付き合いで、好感度が大分アップした。

だから、もう一つの応接セットに座っている男も、第一印象は悪くても好感度が上がる可能性はある。
そう思っていたら、顔デカ社長が、男の方に顔を向けて、「シマダさんよお、あんたには、言いたいことがたくさんあるんだよ、俺は!」と威圧的に言葉を噴射した。

それを聞いたシマダさんは、立ち上がって、直立不動の姿勢をとった。
そして、「申し訳ありません!」と上を向いて叫んだ。

シマダさんが、何をやらかしたかは、興味がないので聞かなかった。

ただ、全身から汗を流しながら、直立不動で謝り続けるシマダさんを見て、誠意を感じた。
不思議なことに、謝り続けるシマダさんの口は、への字に歪んではいなかった。

だから、いつかシマダさんの好感度も上がるかもしれないと思った。

でも、2度と会う機会はないでしょうけどね。

 

山口組で黙らせた

火曜日は、中央区新川の得意先に、打ち合わせに行った。
打ち合わせが、思いのほか早く終わった。
1時に始めて、1時35分頃には終わったのだ。

もっとかかると思っていた私は、少し時間を持て余した。
いつも得意先までは、東京駅から歩いていく。
20分もかからない。

帰りも、もちろん歩く。
いつもは八重洲通りを真っすぐ東京駅に向かって歩くのだが、時間を持て余した私は、京橋の方に足を向けた。
京橋にも土地勘があった。

銀座と日本橋に挟まれて損をしているが、京橋は歴史のある街だ。
そして、つい最近まで日本を代表するフラッグシップと言っていい高級スーパーの「MEIDI-YA」もあった。
一度も入ったことはないが、この店で、いつか買い物をしたいものだという思いを持ちながら、いつも店の前を通っていた。

いまは休館中だが、ブリヂストン美術館という西洋と東洋の美を集めて美術品の保存に力を入れている美術館もあった。
そして、千疋屋。
高級果物が、軒を埋め尽くす果物屋さんの頂点の店だ。

日本橋も「江戸」を感じる場所だが、京橋も違った角度で「江戸」を感じさせてくれる街だ。
「江戸歌舞伎」は、ここが発祥の地だったとも言われている。
つまり、歴史が詰まった街だ。

その小径を歩いていたら、おでん屋を見つけた。
朝メシは食ったが、昼メシはまだ食っていなかった。
私の場合、営業で外に出た場合、ほぼ100パーセントに近い確率で昼メシは立ち食いソバだ。

「安い」「早い」「まずい」の立ち食いソバ。
「どこがソバだよ」というソバの香りのしないソバ。
「かえし」という概念を忘れた、ただ濃いだけのつゆ。
油でベチャベチャの天ぷら。

しかし、安いから、我慢できる。
これで500円とったら、私はテーブルをひっくり返しているだろう。
テーブルは固定だから、ひっくり返せないけど。

火曜日は、寒かった。
その寒さに負けて、私はおでん屋のドアを開けた。
入った途端、鼻に心地よく入ってくる醤油カツオ出汁の香り。

それだけで、幸せな気分になった。

おでん6品と生ビールを頼んだ。
先客は、一人だけいた。
高級そうなスーツに身を包んだ、小太りの40半ばくらいの男だ。

私は、その男の席から2つ席を挟んだ左のカウンター席に座った。
ビールを一気に半分ほど飲んだ。
それで口の中が冷えた。

だから、熱々の玉子を口に放り込んでも熱く感じなかった。
次は、つみれだ。
さらに、厚揚げ。

そのとき、カウンターに座っていた男が、「おでんに、ビールって合いますかね」と私の方に顔を向けて言ってきた。
男は、熱燗を飲んでいた。
昼間から熱燗なんて、いい身分だな。
(私もいい身分ですけどね)

この場合、何と答えたらいいのだろうか。
「合うんじゃないですか」
「好みは人それぞれですからね。何を飲んでもいいのではないでしょうか」
「おでんを食うとき、熱燗だけっていう決めつけはウザいよね」

面倒くさいので、無視することにした。
おでんくらい、平和に食わせろよ。
喧嘩を売るのなら買ってやるが、俺は喧嘩は徹底的にやるからな。

そう思っていたとき、カウンターの中にいた男が、「僕もおでんは、熱燗がいいですね」と、男に媚びるような言い方をしたのである。

はあ?

だって、メニューに生ビールがあるだろうが。
壁にも生ビールのポスターが貼ってありますけど。

「おでんには熱燗」なら、生ビールは店から排除して欲しいな。

俺は、メニューにあるから、頼んだんだけど。

そのあと、カウンターの男は、「僕は、ハンペンが好きなんだよね。あと、コンニャクだね。コンニャクは、色々な料理があるけど、おでんのコンニャクが一番うまいよね。大根も、おでんの大根が一番うまいね」と語り始めた。

どうでも、いいわ。

私は残りのビールを飲んだあと、熱々のジャガイモを食い、大根を食った。
そして、最後の餃子巻きを食おうとしたとき、ケツのポケットに入れたiPhoneが震えたので、ディスプレイを見た。
静岡のイベント会社の人からの電話だった。

出た。

「イベントも先週末、無事終わりました」
ああ、そうなると、「山口組」も解散ですね。

そう言ったとき、カウンターの男とカウンター内の男の表情が明らかに変わった。
口がO(オー)の字になって固まった。

これには、説明がいる。
この会社は、イベントを企画するとき、そのプロジェクトリーダーの名前をとって「ナニナニ組」というグループ名を付けるのである。
今回は、山口さんがプロジェクトリーダーだったので「山口組」だった。

現場は、解体したんですか。
「昨日、終わりましたよ」

これは、イベント会場の資材を壊したか、と聞いたのだ。

では、しばらくは「山口組」はなしですね。
「でも、来年のスプリング・フェスティバルでは、守口さんの下に入って大きなイベントを名古屋でするので、なかなか気は休まらないですね」

今度は「守口組」ですか。
大変ですね。

「また、お願いすることがあると思いますので、そのときは、よろしくお願いします」
はい、「守口組」も気合いを入れますので。

電話を切った。

おや? なんか、店の空気が違うぞ。

あの活発で内容のない「おでん談義」は、どこにいったのだ。

なんか、勘違いをしたのだろうか。

餃子巻きを食い終わった私は、さっさと会計を済ませて、おでん屋を出た。

おでん6品と生ビール。
1490円だった。

立ち食いソバ、4回分の出費だ。

今度から、営業に出るときは、自分でオニギリを作って持ち歩くすることにしよう。

 

あーーー、もったいないことをした。
(馬鹿の相手をするのも面倒くさかったし)